16 式内社たる温泉神社(その3)玉造温泉・岩井温泉

1 玉作湯神社

 玉造温泉は、出雲国風土記に忌部神戸の神湯として登場する。出雲国造が、親任式のために朝廷に赴く際、この温泉で清浄潔斎したことから御沐の忌里とされている。玉造の名は、朝廷の祭祀に使う品を貢納する部民の一種である玉造部が、原石を採取して宝玉(勾玉、菅玉、丸玉)を作製し、朝廷に貢納したことに由来する。いわゆる三種の神器の一つである八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)は、この地で制作されものと言い伝えられている。

玉作湯神社は、玉造温泉の中心街南端の玉湯川のほとりから登った高台にある。風土記で、上記記述に続けて、神祇官にある玉作湯の社として記された古社であり、延喜式神明帳に登載された式内社である。

 祭神は、明玉命、大名持命、少名彦命である(神前にある由緒書は、これに五十猛神を加えた4神を祭神としている)。明玉命は、製玉を司る神であり、この地が宝玉産制の地であることを物語っている。

 拝殿奥の本殿は、大社づくり檜皮葺きの重厚なもので、いかにもここが出雲の国であることを感じさせる。

 社殿の向かって右横には、有名な願い石が祀ってある。玉作湯神社の御神体とされてきた球型の自然石で、この石に叶い石(小さな玉石)を当てて願を掛けると願いが叶うといわれ、縁結びの願を掛ける若者が参拝する姿が絶えない。

 参道の石段途中には、出雲玉作跡出土品収蔵庫が建っている。玉造町内の玉作遺跡から最終された玉類未成品、玉磨き石、ガラス製品などの古代玉作の資料が数多く収蔵されている。

2 岩井温泉の御湯神社

 岩井温泉は、1300年の伝統を持つ山陰最古の温泉である。京都の宇治から流れ着いた藤原冬久が薬師如来の導きにより湯に入り天然痘を治したと言い伝えられている。400年前、初代藩主池田光伸が鳥取藩の直営として以来、岩井温泉は、湯村と呼ばれ、繁盛した。明治時代には、荒金鉱山から出る鉱石の運搬のため岩井軌道が敷設され、この鉄道を利用して訪れる入浴客で賑わった。しかし、その後の大火と戦争、鉱山衰退で、鉄道は廃線となり、温泉も寂れた。

小さな柄杓を湯にたたきながらその柄杓で頭に湯をかぶる入浴法「ゆかむり」の奇習で知られる。

御湯神社は、そんな岩井温泉の中心街から車で5分ほどの高台にある。創建は弘仁2年(811年)と推定され、延喜式神明帳に登載された由緒ある神社であり、古くからこの地域の中心として鎮座してきた。

 祭神は、御井神(大国主命の御子)、大己貴命(大国主命の別名)、八上姫命(御井神の母神)、猿田彦命(天孫降臨の先導役の神)である。この祭神は、いかにも山陰の神社らしい顔ぶれで興味深い。神社名は、湯の町岩井の守護神である御井神の「みい」が転訛して「みゆ」となり、これに御湯の文字をあてて御湯神社と称するようになったといわれる。御井神は湯の町岩井の守護神とされているから、温泉神社であることに変わりはない。

境内には、拝殿に向かって右に宇賀魂神を祀る稲荷神社、左に別雷神を祀る藤ヶ森神社の両境内社を伴っている。

 現在は、静まり返った境内地にひっそりと鎮座しているが、神社の規模からも往時のにぎわいを彷彿とさせる堂々とした佇まいである。

 

温泉神社・温泉寺~温泉のパワースポット~

0コメント

  • 1000 / 1000