10 究極の温泉神社としての湯殿山神社

月山道路から分かれて湯殿山道路に分け入り、さらに駐車場で専用バスに乗り換えて終点まで行き、そこから梵字川のせせらぎを聞きながら10分ほど山道を登り、最後に坂道を下ると参拝者入り口にたどり着く。そこで禊ぎを受け、裸足になって石畳の道を進むと、突然視界にご神体が飛び込んでくる。それは、全体に赤茶けた巨大な岩で、中腹から湯が湧き出て、流れ下りている。参拝者は、岩に向かって左脇の湯の流れる道を岩の上まで上って参拝する。その途中には、湯の湧出口に柄杓が置いてあり、飲泉できる。温泉の恵み、ありがたさを五感で体得できる。このご神体が湯殿山の名の由来である。社殿はなく、ご神体の傍らに簡素な社務所があるのみである。湯殿山は、祭神を大山祇命・大己貴命・少彦名命とする。


 出羽三山は、月山・羽黒山・湯殿山の総称で、推古天皇元年(593)第三十二代崇峻天皇の子である蜂子皇子が修行の末、羽黒山を開山するに始まる。その後、月山、湯殿山が開かれ、皇子修行の道は次第に発展して羽黒派修験道となり、全国に名を知られ、人々の厚い信仰を集めることとなった。湯殿山は、推古十三年(605)の開山とされ、出羽三山の総奥の院として特に厚い信仰を集めてきた。江戸時代までは、真言宗の寺院であったが、明治維新の神仏分離により神社となる。殊に出羽三山信仰は『三関三度』(さんかんさんど)や、『擬死再生』(ぎしさいせい)など、生まれ変わりの信仰が今も尚息づいている。羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死後の体験をし、慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再生すると考えられている。特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祇命・大己貴命・少彦名命の霊験により、神仏と一体になり即身成仏を得ることが出来るとされた。俳聖松尾芭蕉も『語られぬ湯殿にぬらす袂かな』の句を残した、古来『語るなかれ』『聞くなかれ』と戒められた清浄神秘の霊場なのである(以上、湯殿山本宮参道入り口の案内板による)。

 ご神体から湧き出る湯は、良質の温泉そのものであるが(湯殿山本宮御神湯の温泉分析表によると、次のとおりである。源泉地名 湯殿山仙人温泉 泉質 含二酸化炭素・鉄(Ⅱ)-ナトリウム・カルシウム塩化物泉 源泉温度 51.3度 溶存物質総量 13,690㎎/㎏)、この湯によって人の入浴できる温泉施設が造られていたわけではない。現在でも、禊ぎ所への帰り途に足湯ができたに止まる。しかしながら、昔から温泉の守り神として崇められていたらしい。

 例えば、宮城県秋保温泉が枯れたときに、村人代表は、湯殿山神社に参詣して、温泉復興の願掛けをしたとの記録が残されている(その結果、温泉が湧き出たという)。

 山形県天童温泉が発見されて八〇年が経ち、温泉神社が創建されることになったとき、ご神体は湯殿山から勧請している。

 さらに、古来温泉寺に守護されてきた岐阜県下呂温泉も近年温泉神社を創建したが、そのご神体はやはり湯殿山から勧請している。案内板は、次のとおり記している。「幽遠な温泉の歴史に深く思いを致し、その湧出の無窮ならんことを希って、ここに出羽三山「湯殿山神社」御分霊の御遷座を仰ぎ奉り下呂温泉神社を建立してご加護を祈るものである。湯殿山神社は古来羽黒山・月山に連なる聖地であり、その中腹に鎮座まします湯殿山神社は温泉の湧出する霊岩を御神体として、祭神に湯殿山大神をお祀りする。その御分霊が箱根を越えたのは当下呂温泉が初めてである。」

温泉神社・温泉寺~温泉のパワースポット~

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