長野県別所温泉の温泉街の真ん中の仲見世を通り抜け、その正面にある急な石段を34段登ると、高台に平坦な広い境内があり、石畳の奥に北向観音堂が建っている
北向観音は天台宗の寺で、慈覚大師の開山である。本尊は千手観音菩薩であり、南面の善光寺阿彌陀如来に相対しているところから「善光寺」だけでは「詣り」になると傳えられており又古くから「厄除観音」として知られている。このいわれは、善光寺は未来往生を願い南に向けて建てられているのに対して、北向観音は現世の利益を求めて北向に建てられていることに由来する。
石段を登り切った左手に、手水舎があった。参拝の手洗いのため、水を掬って手に掛けてみると、暖かい。意表をつかれ、よく見ると手水鉢から湯気が立っており、竹組の注ぎ口から湯が流れ込んでいる。その横には、ご丁寧に、上田保健所長名の温泉分析書まで掲示してあり、ここで初めて、この寺は別所温泉のど真ん中にもあることからすると、温泉寺もあるかもしれないということに気付くことになる。
北向観音は塩田平の名刹であり、参拝客は引きも切らないけれども、見ていると、皆一様に驚いた様子を示す。そうはいっても、観音堂からは温泉寺の痕跡は見当たらない。境内を探索してみると、川口松太郎の小説「愛染かつら」の素材になった愛染カツラ(昭和49年12月1日付けの上田市教育委員会による案内板は、北向厄除観音の霊木としてあがめられ、信仰の伝説にまつわる樹木で、天長二年の大火の際、どこからともなく現れた千手観音が、このカツラの樹の上でひしめきあう避難民を救ったという伝説があると記している。)が目に付く。
その向かいの山側の岩の上に建てられた懸崖作りの建物がある。薬師堂である。この薬師堂は、元来は、別所温泉を参拝する講中が創建したものであるが、その後寺の管理に移されたという。やはり、北向観音は温泉寺でもあったのだ。堂々とした佇まいを見上げていると、現世の利益としての神体健全や病気平癒を願う人々の思いがこもっていることがひしひしと感じられる。
秋田県北部の大滝温泉は、秋田藩主がたびたび訪れていた名湯である。大滝神社は、菅江真澄のが「すすきの出湯」として紹介する大滝温泉のくだりに登場する由緒ある神社であるが、大滝温泉の中心街の平坦な場所にある。
この神社の手水舎の注ぎ口からは今も湯が出ている。
この湯で手と口を清めて、歴史を感じさせる本殿に参拝していると、菅江が訪れた当時の老いも若きも集って湯浴みしていた情景が彷彿としてくる。
山形県瀬見温泉の湯前神社には、源泉の流れる飲泉所があるが、これが神社の手水鉢を兼ねており、鴨居にはやはり温泉分析表が掲げてある。
文治3年(1187)暮、兄頼朝の追討を逃れ、奥州平泉に落ちのびる義経主従13名が、亀割峠を越え当地にさしかかった時、かねて身重の北の方が急に産気づいたため義経は亀割山中の観音堂に北の方を休ませ、弁慶は産湯を求めて沢へと下った。浅い瀬を見て川を渡り紫雲立ちのぼる川辺の大岩を薙刀で突き破るとお湯が噴き出て、このお湯でまもなく生まれた若君の産湯を使い数日をこの地で養生し回復をまって平泉へ向かった、というのが瀬見温泉発見の由来である。
湯前神社建立の年代は定かでないが、度々の火災にあい、現在の本堂は亨保年間に再建されたものとされる。祭神は湯の守護神である薬師如来と不動明王である。欄間や木鼻の彫物は、初代出羽の勘七木竜の作といわれる。この神社は、瀬見温泉の老舗旅館喜至楼の敷地に隣接して建っている。
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