栃木県の北東部を流れる箒川沿いに泉質の異なる温泉がわき出している塩原温泉郷。古来「塩原十一湯」と呼ばれる・・・温泉が点在する。多くの文人が訪れたことで知られる。 温泉の多くは、それぞれが自らの温泉神社を持っている。各温泉神社はそれぞれ特色があり、いずれもアクセスが容易な場所にあるので、温泉入浴のついでに参拝すれば、手軽に温泉神社巡りができる。
まず訪れたいのは新湯温泉神社である。新湯温泉は、日塩もみじラインの山中にある旅館五軒程度の温泉であるが、国道から奥まった場所に小高い丘があり、100段の急な石段を登り切ると、こぢんまりした平坦な境内があり、新湯温泉神社が鎮座している。 新湯温泉神社は、安元元年(一一七五年)元湯温泉に温泉神社として創建された。元湯温泉は、塩原温泉発祥の地といわれ、・・・年間には、元湯百軒といわれるほど繁盛したが、万治元年(一六五九年)村は大地震の山津波により壊滅状態となり、復興を重ねたが、二度目の日光大地震にあい廃村となってしまった。ちなみに、その際残った唯一の源泉といわれるのが梶原の湯であり、今でも塩原温泉祭には、この源泉の湯が神前に奉納されている。地震後、村人の一部は、この地に移住して新湯温泉を拓いた。そして、正徳三年(一七一三年)神社をご神体と共に元湯からこの新湯に移し、石幢、石段、鳥居等も人力により運搬して、この境内に移築した。重機のない時代に、これらの石材等を山道を通って運搬するのは大変な苦労だったに違いなく、村人たちの温泉神社に込めた再建と永続への並々ならぬ重いが忍ばれる。現在の社殿は、天明二年(一七八二年)に再建されたものであり、流れ造りである。塩原町文化財に指定されている(以上の経緯は、塩原町教育委員会の説明板による)。人が昇殿して参拝できるほどの規模ではないものの、ケヤキ材により造られた重厚なものである。
塩の湯温泉には、塩の湯温泉神社がある。この神社は、寛仁七年(一〇二二年)に創建された。万治元年の大地震後、茗荷温泉神社と合併された。現在の社殿は、文化五年(一八〇八年)再建されたものであり、権現造り、こけら葺きのものである。間口一間、奥行き一間のこじんまりしたものであるが、この神社は、日光東照宮を建築した宮大工に依頼して多くの日数を費やして建造された技術的にも価値ある木造建築で、塩原温泉の温泉神社のなかでも傑作とされる。とりわけ彫刻は一見の価値があるすばらしいものである。この神社と並んで流れ造り、こけら葺きの同規模の茗荷温泉神社の社殿も鎮座している。いずれも、祭神は、大己貴命と伊弉諾命である。
畑下温泉、福渡温泉にも、同規模の造りの温泉神社が祀られている。祭神も大己貴命と伊弉諾命で同じである。福渡温泉神社は、明治二年再建の流れ造り、亜鉛葺きのものである。
他方、古町温泉には、大己貴命と少名彦命を祭神とする温泉神社がある。創建は、元久元年(一二〇四年)、その後塩原城主の祈願所となり社殿を造営寄進され、あるいは宇都宮藩主の崇敬を受けるなどした歴史を経て、明治六年村社に列せられたとされている。現在の社殿は、昭和五二年八月の火災後に再建されたものである。
これに対して、門前温泉は、妙雲寺の門前に開けた温泉であるため、温泉神社はない。その代わりに、妙雲寺の境内には温泉守護のための温泉薬師堂がある。
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