12 薬師堂

 温泉寺で最も一般的に見られる名称は、薬師堂である。

 温泉神社の中にも、その前身が薬師堂と呼ばれるものである例が少なくないことは、随所で述べたとおりである。

薬師堂に本尊として安置されるているのは薬師如来である。薬師如来は、正確には、薬師瑠璃光如来という。かつて菩薩行を行じ、12の願を発し、それを完成したといわれ、衆生の病と苦しみを癒し、救うことができるとされる。薬師如来については「薬師経」に説かれている。12の願の第7は、一切の衆生の病を除くことである。薬師如来は人々に現世の利益を与えるという色彩が強いため、中国、日本では古来、薬師信仰が盛んであった。その形像は左手に薬壺を持つのを特徴とするが、一定していない。日光・月光菩薩を脇侍とする。眷属には護法神の12神将を配する。民間では眼病などの治療に薬効があると信じられた。以上は、日本大百科全書23巻139頁(由木義文)による。

 群馬県四万温泉は、どんな病にも効くほど効能が豊かとされることからその名が付けられた。永延3年頃、源の頼光家臣四天王の一人日向守碓氷貞光の夢まくらに童子が立ち、四万の病悩治す霊泉を教えたという伝説のある古湯である。温泉街から四万川を上流に遡った日向見地区がその発祥の地とされる。

 この地に立つのが、日向見薬師堂である。茅葺き屋根寄せ棟造りの重厚な建物である。温泉の効能から、薬師如来を本地仏とする湯前明神を祀ってきたとされる。創建は天文6年(1537年)以前といわれ、現存する棟札から、現在の堂は、慶長3年(1598年)藤原家貞が真田信幸の武運長久を願って建立したものである。

 建築様式は和様と禅宗様の折衷様式であり、我が国の数少ない唐風建築で、唐様出組、桝の形、木鼻の絵模様、渦巻きの形など当時のものをよく残している。昭和25年国の重要文化財に指定された。

 薬師堂の前には、慶長19年に建てられたとされるお籠堂(こもりどう)があり、中央に薬師堂に通じる通路が設けられている。このお籠堂には、湯治客が病気を治すために定められた日数、即ち1昼夜、7日、百日などの期間、心身を清め、堂に閉じこもってお経を読んだり、念仏を唱えたりし、断食、水垢離などの荒行をすることもあったという。

薬師堂はお籠堂とともに温泉と結びついた薬師信仰を物語る建物として貴重なものとされている。

 この日向見薬師堂に接して共同浴場御夢想の湯がつくられ、温泉発祥の名残をとどめている。

小野川温泉は、山形県米沢市郊外の大樽川沿いに湧き出る温泉である。18歳のとき、天皇の命を受けた父を追って東北の旅に出た小野小町が、途中で病に倒れたとき、夢枕に立った薬師如来のお告げに従って霊湯を発見したのが始まりとされる。

 温泉街の中心地にある共同浴場が尼湯であり、尼の姿をして旅をしていた小町が湯治に用いたという小野川温泉発祥の湯とされる。その傍らに霊験あらたかな湯の神として祀られていたのが小野小町の建立と伝えられる瑠璃光薬師如来尊堂であり、長栄山金乗院(真言宗豊山派)の寺で、大正2年(1912)尼湯に隣接する高台に遷宮されたものである。前立薬師如来尊は、亨保15年(1730)の開眼とされる。

0コメント

  • 1000 / 1000