13 温泉神社と神仏習合

  温泉寺で最も一般的にみられるのは、薬師如来を本尊とする薬師堂あるいは薬師如来である。これは、薬師如来が人の健康を守る仏とされていることによるものであろう。 神社では、温泉神社又は湯神社が多いが、地域によっては、薬師神社も多く見られる。薬師のつく神は見当たらず、この名称は祭神からはでてこない。なんとなく、温泉寺の名称に似ている。

なぜ薬師神社の名が付けられたのか。

その手がかりがある。

 江戸時代以前の温泉地の絵図をみると、奇妙なことに気付く。現在温泉神社のある位置に薬師堂等の温泉寺が描かれているのである。


 たとえば、天保15年(1844年)の「羽州村山郡最上高湯温泉之図」で蔵王温泉には、薬師堂が描かれている(木暮金太夫編・錦絵に見る日本の温泉60頁)。現在この位置には酢川温泉神社が鎮座している。薬師堂が明治維新の際神社に改組され、薬師如来は庵寺に移されたが、明治11年旧に復されたという。

この神社は、蔵王温泉とともに歩んできた古い歴史を持つ神社であり、古くは清和天皇三代実録の条に、貞観15年(西暦873年)従5位下を授けられたことが記録されている。祭神は、大国主命・少彦名命・須佐之男命・軻遇突智命である。

 鉄筋コンクリート造りの現社殿は、昭和34年11月改築されたものである。これに伴い一段低い土地に移された旧社殿は、薬師神社と改称し、古来祀られてきた薬師如来を宝物として安置している。

温泉神社の中にかつて薬師堂と呼ばれていたものが散見されることは、該当個所で述べたとおりである。

どうも、神社と寺を区別せずに、温泉信仰の対象としていたようである。

中世には、神佛習合の思想により、薬師如来を祀っていた。それが、明治政府の神仏分離令によって、神社が寺から分離されることにより、薬師神社という名称が出現したのではないか。もちろん、それ以降に建立された神社もあるけれども、以上の経緯を背景にしてこの名が付けられたのではないかと思われる。

即ち薬師神社は、神仏習合の名残を止めているのである。

 山形県東根市のさくらんぼ東根温泉の中心部には、源泉小屋があり、その傍らに湯元の記念碑がある。明治42、3年の両年にわたる大干魃の祭、灌漑用水を得ようと旧元湯旅館敷地の一隅に「独鈷井」を試みたところ、湧出した温泉である。そこから約100メートルほど離れた場所に、成田不動尊が祀られており、その境内にも温泉手洗場があり、温泉が湧き出ている。参道の地下には60度の源泉が引かれていて、融雪装置になっており、この引き湯が先の手水鉢に通じている。この成田不動尊は、開湯間もない大正元年に成田山新勝寺から勧請して建立されたもので、境内には、開湯記念碑も建っている。以上から、この寺が温泉寺であることがわかる。

 ちなみに、成田不動は、元来、千葉県成田市成田にある真言宗智山派の大本山新勝寺の通称で、山号は成田山である。本尊の不動明王は、平安時代、嵯峨天皇の勅命により弘法大師空海が刻して京都高尾山神護寺に奉安されていたものである。以上は、日本大百科全書12巻574頁(大鹿実秋)による。

 もっとも、境内の標柱は成田不動尊とあるが、東根市のパンフレット「山形県さくらんぼ東根温泉」には、成田山神社とある。そして、本殿前には、打ち鐘がある一方で、鈴があり、注連縄が張られている。

関係者の意識では、温泉地を守護する寺社が渾然一体となっていることが窺われて、興味深い。

温泉神社・温泉寺~温泉のパワースポット~

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