俵山温泉は山口の古湯であるが、湯治場の風情を色濃く残したひなびた温泉である。
俵山温泉の起源は、その昔一人の猟師が白猿を射たところ、急所を外れたと見えて逃げたので、翌日血の跡を頼りに追うと、白猿が蹲っていたので、矢を放つと不思議や猿の姿は消えて、湯が流れてきたと伝わる(鉄道省昭和10年温泉案内)。
一方通行の狭い町並みの両側に旅籠風の旅館が軒を連ねる。例外を除き宿は内湯を持たず、共同浴場で入浴する。宿泊者は、宿から入浴手形をもらい、それを使う。
俵山温泉には、 温泉寺がある。正式名を臼猿山薬師寺という。共同浴場の一つ「町の湯」に隣接した高台にあり、長門地方最古の寺院と言われる。
境内に「白猿山薬師寺縁起」の案内板がある。 残念ながら、文字が風雪のためかすれて全ては読み取れないが、大要次のようである。
「上記猟師が射た白猿は薬師如来の化身で、その猟師は温泉を管理するかたわら薬師如来をまつった。醍醐天皇延喜6年(906)と伝えられる。
応永(1394-1427)の頃、この薬師堂に併せて正福寺が建てられた。 その後、その寺が大破し、改築されたが、それまでは曹洞宗であった寺は、以後浄土宗となる。 嘉永4年(1851)夏、大火の為堂宇は焼失し、薬師堂は再建されたが、正福寺はそのままとなる。
昭和4年、湯治客の信心と十方如来の功徳により薬師堂の大改築が行われ、その頃より白猿山薬師寺と唱える信者が多くなり、昭和48年白猿山の額が掲示された。」
別の案内板によれば、本尊の「金銅薬師如来立像」は、像高43.1cm、両手首を除いて青銅の一鋳から鋳成され、鍍金がなされたと思われるが、現在はほとんどが剥落しているようで、延慶4年(1311)の年号銘があるという。 山口県指定有形文化財。
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