5 温泉神社の名称(箱根の熊野神社の場合)

 温泉神社の名称(箱根の熊野神社の場合)

温泉地の地図には、温泉神社が記載されていることが多い。これで場所を確かめて、お参りするのである。たいていの温泉神社は、その名称で温泉神社と分かる。これは温泉寺も同じである。しかし、名称からは見分けがつきにくいものもある。また、複数の神社が記載されており、その中のどれが温泉神社か見当がつきにくい場合もある。このような場合は、その温泉の元湯あるいは温泉発祥の地の所在から温泉神社を見分ける方法も有効である。温泉神社は、温泉の発祥の起源と密接に結びついていることから、温泉神社の場所から温泉発祥の地を探し当てる方法を逆にしたものである。

この方法で探し当てたのは、箱根温泉郷の湯本温泉の温泉神社である。古くからの温泉場として知られる箱根七湯の各温泉の地図を見ても、温泉神社らしきものは見当たらない。最も古い箱根湯本温泉(箱根で一番早く開けた温泉だから湯本(元)温泉という)でも同じである。このような歴史のある温泉地で温泉神社がないわけがないと考えて、湯本温泉の元湯を調べると、福住楼であることが分かった。そこで、福住楼の近くにある神社を探すと、熊野神社があった。

もしやと思い、熊野神社を訪ねると、そこには温泉神社であることを示す湯場権現講名の案内板がある。そこには、「早くから温泉場としてひらけてきたことから、温泉の神様として、紀州の熊野権現を勧請(分霊を祀る)し、湯場の鎮守として祀ってきたのです。・・・今も皆様の病気を癒してくれる温泉の神様として、地域の人たちの深い信仰を受け、昭和六十三年十月新社殿が竣工しました。」とあった。なぜ熊野神社が温泉神社なのか疑問が湧くけれども、案内板が、その謎を解き明かしてくれた。「江戸時代後期に書かれた『七湯のしおり』には、熊野を音読みにすると『ゆや』になるので『ゆ(湯)や権現』として祀ったのであろうと書かれています。」なるほど。神社の裏山が、鎌倉時代中期の歌人阿仏尼が、『十六夜日記』に『いとさかしき山(険しい山)をくだる。人の足もととどまりがたし、湯坂とぞいうなる。』と記した湯坂山であり、今もこの坂の横穴から、温泉がこんこんと湧き出ているという。神社に続く石段の麓には、連歌師宗祇終焉の地の石碑があり、宗祇と箱根湯本温泉の結びつきを感じさせる。

 塔ノ沢温泉にも、元湯環楼を見下ろす場所に熊野権現が祀られている。


 さらに、宮ノ下温泉にある熊野神社の境内の案内板よれば 熊野神社は、櫛御気奴命(くしみけぬのみこと)、菊理姫命(くくりひめのみこと)、速玉命(はやたまおのかみ)、事解命(ことさかおのかみ)を祭神としている。旧底倉村には、堂ヶ島、宮ノ下、底倉などの湯治場があり、それら温泉の守護社として建てられたとの記載がある。その境内に隣接する形で宮ノ下温泉の元湯の富士屋ホテルがあり、その佇まいは温泉神社と相まって歴史を感じさせる。


熊野神社が温泉神社とされていることは、温泉地によって一様でない温泉神社の奥深さを示すもので興味深い。

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